中山寺地区の
だんじりについて

歴史

中山寺地区の地車だんじりについての記録は残念ながら残っておらず、唯一、車軸に「昭和5年」との記載があるのみである。 ただし、川面地車保存会の資料によれば、大道町「檀楽車新造金賦課徴収明記帳」(明治14年)に中山寺村へ212円で地車を売却したとの記録が残っているとのことで、現行の地車は同年以降に中山寺に持ち込まれたものと考えられる。 また、同年に川面東が小濱東から購入した地車の代金は525円とのことなので、中山寺村が購入した地車はその当時でも比較的古いものであった可能性が高い。 なお、同資料では現在の中山寺の地車の製作は幕末期以前と推測している。

中山寺の先代地車は、明治13年9月2日付で中山寺村惣代から長谷川村惣代にあてた「地車代金74円」の預かり証(領収証)から、その存在が示唆されている。 従って、この中山寺地区では明治5年より以前から地車が曳行されていたと考えられる。

地車の提灯や鳴物、幕、飾り金物の類は概ね昭和~平成にかけて新調されているものの、見送り幕は新調された記録がないため比較的古いもののようである。

意味合い

地車本体の記録と同様に、地車曳行がどのような意味合いで行われてきたかを示す記録も残っていない。

少なくとも現在の中山寺地区の地車は、市杵島姫命いちきしまひめのみこと への豊作やより良い生活への祈願と感謝を込めて執り行われる市杵島姫神社の秋季大祭に合わせて曳行されており、 秋季大祭の一部という側面は強い。

一方で、秋季大祭は宮総代、地車曳行は地車保存会と運営団体が異なっており、地車保存会の会員は市杵島姫神社の氏子である必要はない。 この点については2018年に実施された会則の改正により明確になっており、地車は中山寺地区に伝わる伝統的な祭りとしての側面もある。

地車曳行は神社の行事であるか否か、また今後どうあるべきかは地車に関わる人によって様々な思いがあり明確に定められるものではなく、 その曖昧さを残すことも地車の保存には大切なのかもしれない。

その他